内野彩華

うちのあやか

1977年

広島県で、高校教員の父親と高校教員の母親の間に長女として生まれる。妹がいる。

1980年

物心がついた頃から夫婦喧嘩が絶えない。殴り合い、ヒステリ、家出。妹と一緒に“どうやったら夫婦仲がよくなるか?”について話し合ってばかりいた。父親はキリスト、マホメット、ブッタの次に偉いと信じている。織田信長やヒトラーの映画ばかり観せられ帝王学らしきものを教えられたし、子供に“欲しいものは稼いで買え”と全くおもちゃや遊具は買い与えられなかった。

1986年

父親は、高校教員と会社経営を両立させていたのだが、教員をやめ会社経営一本に。バブルに乗り、塾経営、不動産会社、飲食店経営、服飾店経営を手広く展開。父親の“自分は神さま信仰”はますます強くなり、会社の部下には私や妹を姫と呼ばせる。母親はブランド狂いに。夫婦喧嘩は、ますます激化。

1990年

バブル崩壊に近づくにつれ、父親の会社が傾く。そのときから父親の相談を母親にされるようになる。中学2年から自己否定をはじめ非行に。お金もなかったので、未成年でキャバクラで働きバレて停学。その後、露店でシルバーの指輪を売ったり、万引きもした。初めは化粧品からはじまって、エアコンのような大きいものをどんどん盗むようになる。男の人に会ったらお金ちょうだいと恐喝。家に帰りたくないので外泊が続く。寂しさから、その時近くにいた人と外泊するので関係を持つ男性が爆発的に増え、高校時代で経験人数500人くらい。当然噂になる。

1992年

高校1年生の時に両親は遂に離婚。おばあちゃんの家に母親、妹、と3人で住むことに。自己否定が少しはマシになる。高校を卒業したら東京に行きたい、と言ったが断固反対される。

1995年

大学受験。結局、広島の大学しか受験させてもらえなかったので全部白紙解答で提出。勿論、全大学に落ち、母親は浪人して塾に入ることをすすめたが何年経っても東京の大学を受験させてくれないと悟り3月に家出。

1996年

銀座のキャバクラで働き、キャバクラの寮に入る。夏から受験勉強をはじめ科目数が少なく有名大学で偏差値が低いところに焦点を絞る。たまたま、当時、銀座に飲みに来ていた大手予備校の先生と付き合っていたので受験には役に立ったが、不倫して奥さんにバレ、奥さんからの嫌がらせがすさまじかった。

1997年

津田塾大学情報数理学科に入学。その後も学費を稼ぐ為に銀座で働き続け、人気、売上共にナンバーワンになる。入学式の日に大学に勧誘に来ていたサークルの3つ年上の大学生と付き合うことになる。はじめて人を好きになり同棲。

2001年

大学卒業時にその彼と結婚。IT系企業(日本オラクル)に入社。営業を経験。彼も同時期に同じくIT系企業に入社。

2002年

約1年半でトップセールスになるも、新卒で入った10年先輩の給料が私より30万円多いだけだった事実に驚愕。ITバブルも崩壊し、買っていた株が大暴落。会社を辞める決心をする。そして、起業を思い立つが、起業するならキャバクラだと、新宿のキャバクラで働きはじめ昼夜のダブルワークに。

2003年

起業を決めて僅か1年でキャバクラ「アップス」を開業。旦那も会社に行きたくなさそうだったので「辞める?」と聞いたら即日辞めたので店長になってもらうことに。開業資金は400万。開業した日に資金はゼロに。1ヶ月赤字になると潰れてしまうようなギリギリの状態だったので必死で働いた。私が働いているのと裏腹に旦那はだんだん働かなくなって行った。

2004年

知らずに身分証を偽造した17歳の娘を雇ってしまい、その子がうちを辞め、デートクラブで逮捕される。その為に未成年者を雇用した罪で営業停止になる。

初めての事で、罪を認めたら店が潰れると思い、認めなかったら今度は管理売春を疑われ、脅迫罪、強要罪までついて理不尽にも逮捕される。しかも売り上げの事もあり不安だらけの毎日だったが、店の事も家庭の事も旦那には相談できず、1人で抱え込むしかなかった。ある日、ふらっと店に来た金融会社の社長とダブル不倫。彼も会社を始めたばかりで不安を抱えており、お互いに共感しあえた。そんなこんなだったが、何とか頑張って2店舗目のキャバクラ「アップスター」をオープンさせた。

2005年

金融会社の社長から頼まれ2000万円を貸す。1年経ってみたら、色んな所を飲み歩いていたため飲み代に全て消えていた。それが分かった瞬間に彼とは別れ、私の鬼の取り立てが始まる。奥さんも含め返済計画の話をしようと家まで行き、まずは、車の保険、学資保険、生命保険を解約してもらう。まぐろ漁船にでも乗って貰おうと問い合わせしたが40歳を超えている場合には生命保険をかけて殺す場合が多いからと断られる。彼の会社の社長になることも考えたが金融の知識がなさ過ぎて断念。結局、彼の友人の金融会社の社長に連帯保証人になってもらい、彼はそこで働くことに。給料と別に毎月返済額を友人の社長から受け取り5年かかって全額返済して貰った。彼からは、売掛回収や、借金を返済させる方法を学べてよかった。返済後、彼はガンで亡くなった。

2006年~2007年

今度は、アパレル会社の社長とダブル不倫。オシャレで品のある感じに惹かれた。高級ホテル、クルージング、イベントなど浮世離れした生活が非日常で楽しかったが、アパレル会社が自転車操業になりはじめ銀行借り入れまでのつなぎの為に1500万円を貸すことになったが2週間で返してくれた。そんな頃、うちのボーイが冗談で私の履歴書を日本テレビの「恋のから騒ぎ」に送ったところ、最終面接まで残ってしまい、さんまさんと面接。さんまさんに声の低さを気に入られ出演することに。さんまさんには、“やずや”と呼ばれていたのだが、3回出演したところで、大人の事情が色々あって辞めさせて貰った。

2008年~2009年

不倫相手のアパレル会社社長には、だんだんお金を貸すサイクルが早くなり、半年に1回が、3ヶ月に1回、それが毎月になり、毎月1500万を貸しては残りの2週間で帰ってくる状態になる。

この頃から、何だか知らないがテレビ局や雑誌社からけっこう電話がかかってくる様になる。テレビ東京の「メデューサの瞳」という番組にレギュラー出演した時には、番組を大和出版の編集者が見ていたのがきっかけで、初の著書「ガールズ・バイブル―女子の天敵は女子!?」という女同士の人間関係を円滑にするためのノウハウを書いた本を出版。その後、立て続けに、始めての恋愛本『男が手放さない女のヒミツ~「あ、この子いいな」が「ずっと一緒にいたい」になる~』を出版。

テレビ朝日の「快感マップ」という番組では、ほっしゃんが司会をしていて、もらったプレゼントは何?と聞かれて「山」、と答えると驚いていた。収録後、ほっしゃんから内容は忘れたが弱音を吐かれたので、何を言ったかも忘れたが「がんばれ!」と励ますと、内野ママとしゃべったら元気出た、と言われた。TBSの「オビラジR」と言う番組では、道ゆく女の子でFカップを探せ!という企画でFカップの胸の女の子を探し当てたり、その後も、色んなテレビや雑誌などにもたくさん出たが、なんでこの頃こんなにメディアに出ていたのか、今、考えると良く分からないし、よく覚えていない。たぶん、目的が無く出ていたからだと思う。そんな頃、旦那から自分の会社を作りたいと相談される。

2010年

旦那が会社を設立。初期費用が1000万で毎月約200万赤字。わたしは赤字を埋めるため自分の店や仕事でお金を作るのに必死になる。旦那の会社は半年間で結局2000万以上の赤字をかかえての倒産。旦那がうつ病に。

旦那からは、「マンションから飛び降りそうになる。」と言われ、医者から心療内科の治療は家族の助けが必要だと言われ、実は家には帰って無かったのだったが、一瞬、家族をやり直そうと心を改める。アパレル会社の社長とは別れ、その後、その社長は会社破産。2回の不倫経験で、社長だからと言ってお金持ちとは限らないことを学ぶ。これらの経験を元に著書「重複恋愛37のルール~好きな人が2人以上いるあなた へ~」を出版。二股を上手にかける方法と二股をかけるときの心構えと覚悟について書いた。

2011年~2012年

私が働きお金も稼いで、旦那の病状を心配し、旦那の家族が上京してきた際は取り繕っての毎日に嫌気がさしバカらしくなる。そんな時、今度は10年くらい知り合いだった建設会社の社長と急速に仲良くなり、結婚していることは隠して不倫。そして妊娠してしまう。旦那とはセックスレスだったので、妊娠した事実を話し離婚したいと言うが、旦那は一緒に育てようの一点張り。旦那とは、一緒に暮らすうんぬん、ではなくて、旦那自身が自分で稼げるようになってくれないと安心して彼と別れることもできない。まずは、自分自身稼ぐ道を見つけて欲しいと話した。旦那は、今まで私がやりたいことは全て許してきたのに突然別れたいと言われても困ると言う。結局、離婚が成立しないまま建設会社の社長と子供と私は一緒に暮らすことに。私は、旦那がどこかに就職するのを期待していたのだが、税理士になりたいから勉強すると言い出し専門学校に通い始めた。通い始めたらうつ病の症状が緩和して良かったのだが、資格をとれるのに5年かかるらしい。今は、資格がとれた暁には会社の顧問税理士になると妙に張り切っている。受験勉強の間の生活費は私が出す約束をし、籍は残ったまま。何だか母親みたい。

2012年は「フレネミーと賢くつき合う33の法則」と「運命の人に出逢う恋愛スケジュール帳☆」を出版。後者は、ロマンチックにプロポーズを待っていてもこの不況の時代にプロポーズなんて男からはなかなかされないから、自分から打算的に結婚にこぎつける方法論を書いた。

2013年

3店舗目のキャバクラ「ビキニ」がオープン。これまでに約3万人の起業家・会社役員と接した経験から、必ず結果を出す男に共通する習慣を発見。著書「なぜあの男は空気で人を動かせるのか~昼も夜も結果を出す男の習慣~」を出版。リーダーシップをとる男が日々気を付けている事について書いたが、リーダーシップをとる女性にもあてはまる内容。女性の社会進出というのはまだまだ厳しく、性差別、派遣、託児所の問題などまだまだ環境が整っているとは思えない。そして、働く女性ほど“恋多き人生”になりがちだが、寄ってくるのは“気楽な不倫関係”か、“ヒモ”か、“詐欺師”か、“ニート”が多くなる。そういう意味では過去の恋愛の失敗経験を生かしながら、その都度、自分の都合のいいように男性を教育するか、自分に最も適した相手を見抜く“選球眼”と“感性”を持つしかない様に思う。

今の時代、女は、もっと自分勝手に生きてもいいのではないかと思う。わがままと言われても、“仕事”も“お金”も“恋愛”も“子供”も“旦那”も“美容”も“趣味”も、全て充実させたいと思うのが現代の女性。しかも、知的好奇心や世の中の事にも女性の方が意識は高く、男性よりまじめに考えているのではないのだろうかと思う。

今まで、何冊かの著書を出版させてもらったり、メディアにも出させてもらったりしてきたが、これからは、過去の様々な経験をより生かし、現代の肉食女子たちへのメッセージを今まで以上に強く、広く発信して行きたいと思っている。

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